「退路は断たない方がいい」

                                 姫田小夏

よく「退路を断っての中国進出」などという言葉で、日本人経営者の中国ビジネスに立ち向かう様が形容される。しかし私は、むしろ退路は残すべきだと思っている。「退路を断って」というのは単にマスコミ受けする言葉に過ぎない。危ないと思えばいつでも山を下りたほうがいいと思っている。山を愛した父親の教訓でもある。

私はある中国企業からプロジェクトを請け負ったことがある。この会社との縁は長く続かないな、と直感した。ちょっと長くなるがその理由を記しておく。

 

平たく言えば、「カネは出すからあとはヨロシク」という手の経営者であることがわかったためだ。「口を出してくるよりいいじゃないか」とも思うが、プロジェクトを立ち上げる初期の段階では、経営者にもある程度コミットしてもらわないと困る。

 

中国人は投資家タイプが多く、まったく自分の素人分野であっても儲かりそうだと思えばカネを突っ込む。しかし、大概、こういうパターンは失敗する。ここぞ、のときに粘ることができないのだ。また、「カネは出す」とはいうものの、コストに関しては結局後になって四の五の言ってくるたちが悪い人もいる。だから、どこにどれだけお金がかかるのかを、一緒に立ち会ってもらって検証してほしいのだ。

 

もともと投資なので、回収が見込めなければ「やーめた」ということになる。その尻ぬぐいをするのは容易ではなく、なるべくそういうパターンを食い止めるために、「立ち上げ時は一緒に苦労してもらう」「渋る経営者を無理矢理にでも現場に引っ張ってくる」というのが私のポリシーなのだ。

 

さて、この経営者がまさに三顧の礼で拝み倒してくるので、「社長がそこまで言うなら」とやむなく引き受けることにした。いざ仕事が始まった。私は「完全前払い制」でお願いした。相手の入金を確認しなければ製品は渡さない、翌月払いなどとんでもない。

 

しかし、それでも油断はならなかった。仕事が進み始めると、案の定、はしごを外しにかかった。最初に合意した予算が突如バサリと削られたのだ。こちらも多くの協力者にお願いして仕事を発注しているため、これでは叶わないと、さっさと「いちやめた」を決め込んだ。一歩譲れば、二歩突っ込んでくる相手である。トラブルが長期化するのも馬鹿馬鹿しく、それ以上に「今後気持ちよく仕事ができる」という可能性もかなりの割合で低かったので、もはやそうした仕事には未練はなく、山を下りるが勝ちと踏んだのだ。

 

人として許容できる倫理を越えてしまったらおしまいだ。それに甘んじてまで仕事をする必要はないと私は思っている。相手の行為は明らかに「もはやこの段階では後には引けまい、多少悪い条件でも呑まざるを得ないだろう」という私の足元を見抜いての「はしご外し」である。恐らくこうした手法を過去にも繰り返し使い、発注先を困らせてきたのだろうと直感した。世間的には「辣腕」で通っていたこの中国人だが、「そういう意味の辣腕だったのか」と妙に納得したものだった。

 

ときには粘りも必要だが、企業によっては「深追い」が仇となるケースもある。人なし、カネなし、技術なしの中小零細企業にとっては、無理をすれば、相手に鼻面を括られ、弄ばれるだけだ。最初から退路を断って臨む必要はどこにもない。むしろ時間とともに熟成されてくる関係において、徐々にビジネスを膨らませていけばいいのだと思う。

 

中国は広い、人間も多い。それが幸いに、「もっとまともな中国のパートナーといつかは出会えるはず」とどこかで確信を持つことができる。この時点で「だから中国はダメなんだ」と思い込んでしまうのはよくない。

 

さて、このプロジェクトが今どうなっているかといえば、跡形もなく消滅してしまったことが最近になってわかった。私が断った後は内製化したらしいが、どうやらその先が続かなかったようだ。

 

あちこちから、即席で引き抜いてきた人材がそれぞれに派閥を作り言うことを聞かず、管理職は何をどう管理していいかわからず右往左往し、肝心の社長は現場からゴルフ場に逃避といった始末、グチャグチャだった社内を思えば当然の結果とも言えるだろう。

 

昨今、豊富な資金力にものを言わせてがんがんと暴走する中国人経営者も少なくないが、「実は限界がある」と、逆に彼らの足元を垣間見ることもできた。私にとって成功とはいえず、むしろ失敗したプロジェクトだったが、その実、得るものも少なくなかったというわけだ。