落ち落ち病気に罹れない、いまどきの上海病院事情

                              姫田小夏

最近、中国人の友人を見舞うことが少なくない。

 

日傘をさし、住所を書いたメモを片手にやっと病院を見つけた。上海一とも言われるリッチな病院である。病棟を訪ねると、本人は至って元気。「本日手術だった」というが、みじんもそんな様子はない。

 

元気で幸いなのだが、あまりの血色のよさに、老婆心ながら本当に入院が必要だったのだろうか?と思ってしまった。

 

昨年末にもやはり中国人の友人を病棟に訪ねたのだが、やはり本人の顔色は悪くはなかった。むしろ病人とは思えないほど元気だったのが印象的だった。

 

ところで、最近こんな噂話をよく耳にする。

「上海の病院は、健康な人間も病人にしちゃうから要注意よ」というものだ。

 

「検査の結果××が発見されました」という導入で、「これはひょっとするとひょっとするかもしれない」と、あれこれ大げさにして、最後は入院、そして手術――にしてしまうそうなのだ。「中国での健康診断はちょっと警戒」、というのが地元の共通の認識でもある。

 

中国にいる日本人も同じことを経験している。かつてから日本人は「いいお客さん」だった。つい先日も上海で働く日本人の友人がこんなことを話してくれた。

 

「腕にできたできものを切除しようとしたら、中国のお医者さんに『入院して手術が必要、悪性かどうかは手術しないとわからない』といわれたの。本当かしら?と、慌てて日本の病院でセカンドオピニオンを求めたら、逆に『そんな大げさな・・・』と言われちゃった。切除も実に簡単で、そもそも入院なんて必要ナシだったの」

 

上海からたった2時間半で行ける日本のメディカルツアーに関心が行くのは、そもそも上海は、あるいは中国では、患者が安心して病気になれない(?)からでもある。

 

さて、中国の医療にはかなり特殊な事情がある。

 

医療事情に詳しい上海人は、「患者は常に病気以外のことに気を遣わなければならないんです」と前置きし、次のように語ってくれた。

 

「入院したら、常に家族や見舞客で周囲を賑やかにしておかないとダメ。身の回りを世話してくれるアイさん(いわゆるお手伝いさん)に足元を見られないようにすることが肝心なんです」

 

中国の病院では、患者の世話はダブルスタンダードになっている。もっぱら薬を配る看護師の仕事と、衣服の着脱や歩行、排便など身の回りの世話をしてくれるアイさんの仕事に分かれているのだ。「このアイさんを雇わなければ患者は死んでしまう」「雇っても使いこなせなければ死んでしまう」とまで言われている。

 

すなわち、日本のように看護師が何から何まで面倒を見てくれる完全看護というのとは異なるのである。

 

患者の生殺与奪を握っているのが、すなわちこの地方出身から出てきた出稼ぎのお手伝いさん、「家族などが見舞いに来れば丁寧にやってくれるが、そうでないとかなりいい加減」らしい。なるほど。「誰かが見てますよ」というシグナルを常に発信していないと、弱みにつけ込まれて、手抜きされてしまうのだ。

 

いまどき上海ではおちおち病気にもなっていられない――、そんな理由はこうしたところにもあったのである。

 

昨今、日本ではメディカルツーリズムに注目の集まっている。期待も大きいが超えなければならないハードルも高い。西日本の某社は当初ここに市場を見いだしていたようだが、諦めて手を引いたと聞く。

 

某社が上海に調査のための事務所を出したのはたった数ヶ月前のことだ。あまりに短兵急に結論を急いでしまったのでは、と惜しい気もする。

 

私は、良質なパートナーさえ恵まれれば、さまざまな障壁を乗り越えるための何かしらの手段は生まれてくると思っている。どの病院を回り、誰と名刺を切ったのかは知らないが、こちらの気合いは相手に伝わるものである。上海の日本人コミュニティの「裏話」は割り引いて聞いたほうがいいし、実態を突き詰めるためにも自らが市場を行脚すべし、である。それができるタフな人間を調査に出さないことには、成就するであろうビジネスも「一合目」で引き返すという情けない結果を出してしまうことにもなる。