「日本のチベット」と中国進出

                                 姫田小夏

盛岡から宮古までバスで2時間。長距離バスの旅は雪解けで足早に流れる川に沿って走り、途中、“一面ふきのとう”に出くわしたり、水を飲みに下りてきた鹿のような動物を目撃したりもした。陸奥、日本のチベット、とは言ったもので、確かにそこは海外よりも遠い世界に感じる。宮古への東京からの時間距離は、「人口5万人以上の市」でもっとも長い、といわれている。

 

もともと人口減少が激しく、高齢化が進む条件不利地域だったところが、津波の被害を受けた。ゼロからのスタートどころか、マイナスにも振り戻されてしまった。

 

宮古市の主たる産業は水産業、新しい魚市場が出来上がっても加工場の再建が追いつかず、地場産業の復興はまだまだほんの一部にとどまっている。

 

この土地で一番の問題になっているのは地盤沈下、そして土地の補償の問題だ。自分の土地をいくらで買い取ってくれるのか、これが算出されない限り、「次の行動」には移れない。だが、それがどういう形で査定されるのかがなかなかはっきりしないのが現状だという。

 

宅地についてはもっと複雑だ。そもそも海に山がせり出すリアス式海外では、ほとんどと言っていいほど代替の土地が見つからない。現在、宮古市は盛り土・切り土で宅地造成をする方向で話を進めているが、果たして大丈夫だろうか。「高台」を主張する市民からは反発が出ている。

 

肝心のがれき処理も東京都が受入れするだけにとどまっていた。その後4月第4週を迎えた時点で秋田県大仙市、群馬県中之条町の受入が決まった。これは環境省が都道府県同士をマッチングさせているようなのだが、進捗は速いとは言えない。 

 

石川県輪島市は一部市民の反対運動まで起こっている。「輪島市としては文化、芸術で支援すればいい」などいう意見もある。最近は、がれきを受け入れたら「市長殺す」の落書きまで出てきた。

 

がれき処理が進まない限り復興は描けない。宮古の市民は「風評被害だ」と顔を曇らせていた。

 

さて、私は最近、関満博氏著の「東日本大震災と地域産業復興」を手にした。三陸津々浦々を丹念に取材したすばらしい著作だ。

 

同氏は、三陸を次のように表現する。

 

「日本企業のアジア・中国移管が進む中で、国内に残りうるあり方を模索していた」

 

しかし、この震災で宮古市の企業は75%が被災し、そのうち40%が建物を失った。被災企業のうち32%は廃業、46%が今後の事業継続は未定(同著)という。宮古市のみならず、東日本の漁業、水産加工業、そして関連産業が津波により完全に失われてしまった。「国内に残りうるあり方」が危機に直面しているのだ。

 

その一方で、関満博氏が指摘していたのは、中国に加工場を持っていたりした水産企業は、見事に短時間の復興を可能にした、という事実だ。

 

例えば大船渡市の鎌田水産は7工場すべて損壊したが、震災時に大連に滞在していた会長が、大連中を駆け巡って水産関連資材を大量に買い付け、コンテナで日本に送り込んだことで命拾いにつながっている。この際だった取り組みに、同氏は「産業、企業の復興対応とはこのようなものをいうのではないか」とコメントしている。

 

この三陸の水産業界においても中国の子会社の存在が大きくリスクを回避させた。自然災害のリスクを背負う日本ならばこその、アジア拠点確保だ。

 

大量生産、大量販売とは隔絶された地で、質の高い水産品を生産し評価を高めてきた、そんな三陸も中国と無縁ではいられなくなったようだ。三陸は、復興とともに海外をどう取り込み、地場の産業とどう結びつけるのかが注目される。

 

首都圏直下型地震対策もあるのか、「ここ最近、日本企業の海外移転がものすごいスピードで進んでいる」、そんな話を耳に挟む機会が増えた。市場縮小の恐怖もさることながら、自然災害のリスクも声高に叫ばれる。「日本のチベット」でも中国を模索する時代、グローバル化は日本のどの都市にとってもますます無地かなものになってきているようだ。