日本と中国、交流の余地はまだまだある

                                  姫田小夏

朝方、ようやく完成した論文を上海に提出した。今回執筆したのは、「日本で進む住民参加型のまちづくり」である。まず、「住民参加」に至る背景を説明するだけでも、話は1950年代にさかのぼらなければならなかったので骨が折れた。

 

工業開発一辺倒とそれに対する住民の反対運動の歴史の繰り返しで、日本はようやく「国民参加」を実現する。五全総は1998年からスタートするが、すでにここではこれまでとは流れを異なるものにすべく「21世紀の国土のグランドデザイン」と名称された。

 

このグランドデザインから開発色はなくなり、「多用な主体」「参加と連携」という新しいキーワードが加わるようになる。背景には「従来型の、国が主導する国土計画は必要ない」「地方がそれぞれ自らの地域の将来をデザインし、活性化につなげる」という見方が強まってきたこともある。

 

また、人口減少や少子高齢化などの社会情勢の変化と国民の価値観の多様化、安心・安全や環境・美しさに対する国民意識の高まりなどの変化により、「あるべき国土計画とは?」がこうした選択を導いたのだろう。

 

今回、この主題を選んだのは、ドイツ政府が中国で進めてきた「参与式土地利用計画」(これはほとんど公にされていない)に関連づけて考察したい意図があったためだ。(ちなみに日本の国土計画という言葉はドイツ語からの翻訳らしい)これがほぼいまの日本の「まちづくり」に重なるので、まずは日本のそれから調べることにしたのだ。

 

国家主導の上意下達の発展計画から、民衆参加のまちづくり――、その実験が中国のいくつかの都市で行われていたことは私にとって目からウロコだったし、これは民主化モデルの先取りにも等しいと思ったからでもある。

 

産業基盤中心から市民生活へ、経済効率から持続可能な生活重視へ、ハード主義からソフト主義へ、中央から地方へと、中国でもそんなパラダイムの転換が始まるのだろうか。閉塞する中国社会の中で、未来への期待を持てるだけでも有り難いのだが・・・

 

しかし、「参与式土地利用計画」の実際の参加者の話によると、「非常に効率が悪いので中国での普及は難しい」とのことだった。

 

日本型まちづくりも同じ問題を抱えている。住民参加は時間もコストもかかる。だが、日本の各地には、それを実際乗り越え、100%理想通りには行かないながらも、まちづくりを実現した例が豊富にある。

 

日中関係においては、経済関係が強調されがちだが、日本の智恵が役立つ部分はまだまだある。工業開発モデルのなかで地価が上昇し、同時に産業構造の転換を求められるプロセスは、いままさに中国が現在進行形で歩んでいる最中である。その中で得るべきは隣国の経験ではないだろうか。

 

9月からの一連の騒ぎのなかで、中国は日本に学ぶものはないと豪語する態度すら見せた。しかし、本当にそれでいいのだろうか。日本の智恵をシェアすることは中国にとってもはや必要ないことなのだろうか。

 

尖閣問題からものごとを見れば、そこにあるのは「日中関係の最悪化」の局面でしかないが、日本と中国の関わりは実はもっと多層で、様々なシーンで様々な人々が様々な関わり方をしている。

 

すっかりうちひしがれていた私だったが、最近は気を取り直して、「日本と中国、シェアできるものは何があるのか」を真面目に考える日々である。